捨てられるはずだった米ぬかから。酒蔵生まれのハンドウォッシュができるまで
忙しない日々の中で、私たちは一日に何度も手に水を通します。外から帰ったとき、食事の前後、あるいは仕事の合間の気分転換に。けれど、その何気ない動作を「単なる衛生上の習慣」として通り過ぎさせてしまうのは、少しもったいないのかもしれません。
日本には古来より、神社に参参する前に手や口を清める「手水(ちょうず)」という豊かな文化が存在します。手水とは、単に目に見える汚れを落とすためだけの行為ではありません。手を通した水によって外の世界の雑多な気配を払い、自身の心と身体をそっと元の平穏な状態へと連れ戻すための、ひとつの美しい所作でした。
MCKKのハンドウォッシュは、そんな手水の精神を現代の暮らしの中にそっと手繰り寄せるようにして生まれました。秋田県湯沢市の酒蔵でひっそりと役目を終えようとしていた米ぬかや、古来より再生の象徴として語り継がれてきた桃の種。自然が紡ぎ出す恵みを丁寧にかき集め、凛としたヒノキの香気とともに一瓶の中に閉じ込めています。
ただ手を通す時間が、乱れた呼吸を静かに整え、自分自身と深く向き合うためのささやかな儀式へと変わっていく。このプロダクトが完成するまでの背景と、そこに込められた思想の物語をお届けします。
日常の作業を「整える」手水の精神

水に手を差し伸べ、泡を立て、洗い流す。日々の生活の中で幾度となく繰り返されるこの一連の動作は、ともすれば無意識のうちに終わってしまう無機質な作業になりがちです。しかし、少しだけ意識の置き所を変えてみると、手洗いという時間は非常に個人的で、贅沢な「リセットの瞬間」へと姿を変えます。
鳥居をくぐり、手水舎の冷たさに触れるとき、人は自然と背筋を伸ばし、一息ついて自らの内面へと意識を向けます。水流が手肌を滑り落ちる感覚に耳を澄ませることで、頭の中に渦巻いていた雑念が少しずつ静まっていきます。こうした「手水」の持つ精神的な作用を、現代の多忙な日常に取り入れられないだろうか――その問いかけが、製品開発の第一歩でした。
単に肌を清潔に保つことにとどまらず、手洗いをひとつの「所作」として捉え直すこと。蛇口をひねり、泡を手に広げた瞬間から、慌ただしい外界の時間の流れから少しだけ離れ、自分自身の感覚を取り戻していく。そんな静かな時間を届けるために、配合する成分やテクスチャー、そして香りのひとつひとつに、過飾のない丁寧な意図を込めて仕立て上げています。