抹茶文化はどこに向かう?中国や世界に広がる日本の伝統
世界中で抹茶が愛され、ラテやスイーツとして広がる一方で、その故郷・日本では製茶業の廃業が相次いでいます。高まる世界からの需要に、追いつかない日本の生産。中国でも抹茶づくりが始まり、伝統の担い手は岐路に立たされています。
抹茶文化はいま、どこへ向かうのでしょうか。
その背景にある経済や歴史、そして私たちが未来へつなぐためにできることを探ります。

抹茶づくりが中国に?いま日本や世界で起きている変化
「中国、世界の一大抹茶供給源に。内陸部、日本茶人気で生産拡大」(共同通信)というニュースを見て驚きました。日本の抹茶が海外で人気という話はよく耳にしますが、いま世界では何が起きているのでしょうか。
共同通信によると、中国内陸部の茶の生産地・貴州省銅仁市では、抹茶を地域ブランドとするために量産体制を整備。日本から専門家を招いて技術を導入し、大規模工場を建設して大量生産に成功したといいます。抹茶ラテが日常生活に浸透し、抹茶ブームが起きている欧米への販売・輸出も進めているそうです。

中国のお茶文化
今や世界に広がる抹茶ですが、どのようにして生まれたのでしょうか。
その源をたどると、お茶の起源である中国に辿り着きます。日本にお茶が伝わったのは奈良から平安時代 (710〜1192)。当時、中国の先進的な制度や文化を学ぶために派遣された遣唐使や留学僧たちが、お茶を日本へ持ち帰ったとされています。
その後、日本の風土や美意識のなかで、お茶は独自に発展を遂げました。もてなしの心や精神性と結びつき、やがて「抹茶」という日本独自の文化が形づくられていきます。
ですから今回の中国での抹茶工場の誕生は、長い年月をかけて育まれた日本の抹茶文化が、お茶文化の原点である中国に再び還っていったともいえる出来事です。
抹茶という一点から見れば、日本の文化が海を渡ったようにも見えますが、お茶文化という広い視野で見れば、それは「原点への循環」ともいえるのかもしれません。
「どこからが日本の文化なのか?」という問いに対する答えは、起点や視点によって大きく変わるため、この記事ではあえて定義しないでおきます。ですが、この抹茶のニュースをきっかけに、今、日本や世界で起きている変化について少し考えてみたいと思います。
抹茶ブームなのに、製茶業の廃業が増え続ける日本のなぜ
抹茶ラテはカフェの定番メニューになり、スーパーやコンビニにも抹茶味のスイーツが並びます。前述のニュースが示す通り、抹茶の世界的な需要は高まっており、高価格帯の抹茶も人気。抹茶が日常生活に浸透し、世界でも抹茶ブームが起きています。
しかし一方で、日本の生産現場では、お茶の葉を栽培・製造販売する製茶業者の倒産や廃業が過去最多のペースで増えているというのです。(帝国データバンク、2025年現在)

近年の日本の製茶業をとりまく状況は、二極化を迎えています。抹茶ブームにより、自社で茶葉の栽培から加工まで行う製茶業者は、大幅に売り上げが成長。
一方で、農家から茶葉を仕入れる業者は、仕入れコストの上昇により約18%が減収、約30%が赤字に。特に、海外輸出やインバウンド向けの販路を多く持たない製茶業者の業績悪化が目立つそうです。
また、帝国データバンクは、若年層の日本茶離れや仏事・葬儀向け需要の低迷により、国内市場向けのリーフ茶の値上げは難しいとも指摘しています。生産者を支えるほど国内の需要が追いついていないことも、製茶業の廃業が増える一因といえそうです。
また、茶産地の高齢化も気がかりです。65歳以上の割合は、51%(平成12年)から61%(令和2年)へと10%上昇。さらに農業従事者全体の減少も止まらないといいます。(農林水産省「茶をめぐる情勢」より)
こうした動きからわかるのは、現在の抹茶ブームは海外からの需要に牽引されている部分が大きく、必ずしも国内市場に支えられているわけでもなさそうということ。
抹茶や日本茶が世界で愛されるようになった一方で、高齢化や国内需要の縮小など、日本の生産現場が抱える課題は決して小さくありません。
世界の抹茶人気の背景に、コーヒー豆の不足と高騰も
世界の抹茶人気は、実際にどのくらいの規模なのでしょうか。
令和5年、緑茶の海外輸出額は292億円。その中でも、抹茶を含む粉末茶の需要は急速に拡大しています。たとえば2025年8月の日本茶輸出実績を見ると、アメリカ向けは前年同月比で243%増、EU向けも189%増という驚きの伸びを示しています。抹茶が世界で存在感を増し、確実に広がっていることがわかります。
2025年8月期 日本茶輸出状況
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全体輸出額 |
58.5億円(前年同月比 : 126.9%増) |
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全体輸出量 |
1,033.1t(前年同月比 : 60.7%増) |
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アメリカ向け輸出額 |
21.2億円(243.0%増) |
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EU向け輸出額 |
12.3億円(189.8%増) |
健康志向の高まりと言われる抹茶人気ですが、その背景にある気になる動きとして、コーヒー豆の価格高騰が目立ってきているのをご存知でしょうか。
コーヒーを日常的に飲むアメリカでは、2019年から2025年にかけて、アラビカ豆は約2.95倍、ロブスタ豆は約3.4倍もの価格上昇。さらに2025年8月時点では、コーヒー商品全体の価格も前年同期比で約21%上昇しました。

この価格上昇の原因は、生産地での原料コストの上昇や、輸入品に課される高い関税など。こうした背景を考えると、販売店がコーヒーの代替として抹茶に注目するのは自然な流れとも言えます。(Statista, DAILY COFFEE NEWSより)
そして、世界的な抹茶人気の拡大に合わせて、中国での抹茶生産も急速に広がっています。この動きは、単なる地域間の競争ではなく、「世界的な供給体制に大きな変化が起きている」と受け止めるべきなのかもしれません。
ブームはいつか終わる。世界の生産者たちの後ろ姿
コーヒーを取り巻く状況の変化にも後押しされた、現在の抹茶ブーム。抹茶の一歩先をいくコーヒー産業には、いまの私たちが学べることもあるかもしれません。

「コーヒー2050年問題」と呼ばれる課題があります。地球温暖化による気候変動の影響で、世界のコーヒー豆の約6割を占めるアラビカ種の栽培地が2050年までに半減するというものです。
コーヒーは、世界70カ国以上で生産され、約2500万世帯が従事する巨大な産業。ですが、コーヒー農家の多くは、栽培地面積5ヘクタール以下の小規模農家で、主な生産地は中南米やアフリカなど貧困問題を抱える発展途上国でもあります。さらに、小規模農家であればあるほど、小さな自然災害でも大きなダメージを受けやすく、農薬などの生産コストが収入を上回る場合もあるそうです。
不安定かつ低水準で推移するコーヒー豆の取引価格や生産コストの上昇など、生産者をとりまく環境が厳しいために離農も増加、栽培地そのものが減少する現象も見られます。かつて大きく成長したコーヒー産業は、いま転換期を迎えているのです。
どこかの国の経済成長や消費の拡大は、遠く離れた生産現場に歪みを生むこともある。これは日本に限らず、世界の生産現場でも言えることかもしれません。
そしてブームが起きれば、いつか終わる。その時に、私たちは何を残しておきたいでしょうか。
歴史が教えてくれる:輸出で日本を支えたシルクの話
抹茶やコーヒーのような、「文化と経済が世界をめぐり広がっていく動き」は、実は現代に始まったことではありません。
過去に目を向ければ、かつて日本の経済を支えた一大輸出品がありました。それはシルクです。

シルクの歴史は古く、弥生時代に中国から伝わり、日本独自の養蚕や染色、織りの技術とともに発展しました。日本では着物や帯に用いられ、伝統的な暮らしや独自の美意識を映す素材として育まれました。一方、世界ではシルクロードが築かれるほど、高貴で貴重なものでした。
日本が今ほどの経済力がなかった時代、安政6年 (1859) に横浜開港をきっかけに、生糸の海外輸出が始まりました。その50年後、明治42年 (1909) には、日本は世界一の輸出生糸生産国に。開港から昭和9年 (1934) までの75年間、シルクは日本の輸出額で常に1位を占め、外貨獲得のための産業としても国の発展を支え続けたのです。
生産の現場では、昭和5年 (1930) には、全国の農家の約4割が養蚕を行い、特に群馬、長野、山梨では、農家の7割が養蚕にたずさわっていたとも言われています。世界遺産に登録されている富岡製糸場では、生糸の大量生産に成功し、かつて一部の特権階級のものだったシルクを、より多くの人々に広めるきっかけを生みました。その高い品質と技術はやがて海外に広まり、世界規模でシルク産業の発展へと繋がっていきます。
しかし戦後になると、日本のシルク産業は少しずつ縮小していきます。その理由は、ポリエステルなどの低価格で大量生産に向いた代替素材の登場と、国内でのシルク需要の減少。生活様式が西洋化するなかで、着物に代表される伝統的な装いに使われる機会も減り、次第にシルクは人々の暮らしから遠ざかっていったのです。
海外の需要は、成長や拡大を支えてくれる。けれど、国内の暮らしの中にその文化が根づいていなければ、失われてしまうものもある。日本のシルク産業の歩みは、そのことを静かに教えてくれるようです。
今の私たちができること。文化を日々の暮らしで育て続ける
抹茶は「抹茶ラテ」という新しい形に姿を変え、世界中で愛されるようになりました。その軽やかな変化が、日本の味をより多くの人へ届けたことは、とても喜ばしいことです。いまや抹茶はコーヒーに並ぶ存在になり、スイーツやレシピとしても進化しながら広がり続けています。

その一方で、日本の生産現場では高齢化や後継者不足が進み、このままでは「日本の抹茶」がこれまでの姿を維持するのは難しくなるかもしれません。抹茶が世界で愛されるほどに、その原点をどう守り、どう育てていくかが問われています。
けれど、文化が世界に広がることは終わりではなく、「新しい始まり」でもあります。「多くの人に知れ渡ること」と「文化を受け継ぐこと」は対立ではなく、互いを豊かにする関係であるべきです。
その昔、日本は中国からお茶や文化、技術を学び、再解釈して独自の文化として昇華させました。外の文化を柔軟に取り入れ、再解釈しながら日本独自の文化を育んできたのです。そして今、その抹茶が再解釈されて、世界に広がっている。
文化とは、本来、閉じたものではなく、流れとともに少しずつ形を変えていくもの。
だから、日々の暮らしに文化を再解釈して取り入れ、育んでみる。文化とは特別な誰かが守るものではなく、私たち一人ひとりの暮らしの中で息づくもの。お茶を選ぶ、器を愛でる、職人の手仕事の品を使う ― そんな日々の小さな選択が、文化を育て、未来へとつなぐと思うのです。

日本の伝統文化や営み、そこに宿る感性を、日々の暮らしの中で少しでも身近に感じられたら。そんな想いから生まれたMCKKのプロダクトは、日本各地の原料や手仕事から丁寧に作られています。
文化を「守る」から「つなぐ」へ。
その穏やかな循環の先に、未来の日本の姿がきっとあるはずです。